ご案内

そこで、現地のスタッフが必要とする宿泊先や日程などの情報を早めに伝達するだけでなく、具体的にどのような点に気をつけて準備しておけばよいかということを相手方に知らせておく。 こうすることで、現地サイドに無用な気遣いまでさせないようにする。
たとえば、Iさんが現地を訪れたときに誰と会いたかつているかとか、最近どのようなことに興味を持っているかなどについて、簡単に箇条書きしたものを早めに受け入れ側に送っておいた。 その中には、「自動車の座席には道路地図を入れておくといい」といったものもあった。

Iさんはいつも「いま、どこを走っているのかな」と気にしては地図を見たがる人だったからである。 もっとも、私の場合はそれほど気の利いた供回りではなかったので、現地の方々にはずいぷんと厄介になってしまった。
さて、台湾訪問の最終日のこと。 夜の9時ころだったろうか、現地駐在員の方から「Uさん、これからちょっと外に飲みにいきませんか」と誘われた。
しかし私は、「残念ですが、仕事柄、Iさん夫妻がお休みになるまでは出られないんです。 呼び出しがあったら、すぐに駆けつけないといけませんから…」と言って、泣く泣くお断りした。
う〜ん、本当に残念!……と思っていたところ、Iさん夫妻に「おやすみなさい」を言ったあとに、また電話があって、「もう大丈夫ですか〜ではこれから迎えに行きますよ」と誘ってもらえた。 このときはさすがにうれしかった。
食事をしながら聞いた話では、台湾の人々は繁華街で朝の4時くらいまでひたすら食べても、次の日には平気で出勤するらしい。 さすがは食の本場である。
郷に入っては郷に従えとばかり、私は珍しいカエルの脚のからあげなどを、たらふくおなかに詰め込んで、まるで自分自身がカエルみたいになってしまった。 しかし、調子に乗りすぎたようだ。
ホテルの部屋に帰ったとたん、おなかがゴロゴロと鳴り出した。 結局、朝までほとんど寝られないまま、ほうほうのていで東京への帰途に着いた。

東洋医学とコミュニケーション私がソニーを退社してから2年ほど後のこと。 週刊誌の広告に「公開されたソニーの『秘密オカルト研究』」という見出しが躍っていた。
思わず買って読んでみたところ、Iさんが進めていた東洋医学研究のことが書かれていた。 書名は忘れたが、かつて発売された単行本にも、この研究をこれと同様に「オカルト」扱いしているものがあった。
Iさんが東洋医学の研究を推進していたのは事実だ。 だが、どうして東洋医学が「オカルト」なのだろうか。
鍼灸や漢方薬といった東洋医学の治療法はわが国でも広く普及していて、別に奇異なものでも何でもない。 もっとも、日本の誇るエレクトロニクスメーカーの創業者が、それとはまったく無関係な伝統医学に凝っていたこと自体が、世間の目には面白おかしく映ったのかもしれない。
それはそれで理解できる。 まして、社内に東洋医学の研究所まで作ってしまったのだから、「ソニーが、なぜ〜」と思われても、無理のないところかもしれない。
Iさんの英語屋としてその活動を間近に見てきた私に言わせれば、それこそまさに、このソニーの創業者が天才たる所以なのだ。 誰も注目していない分野に目をつけて、他人がまだ作っていないものを作るIこれがIさんの信条だ。
そういう確固たる姿勢があったからこそ、その昔、開発されたばかりのトランジスタをいち早く導入して日本初の上フンジスタラジオを製造し、その後のソニー発展の礎を築くことができたのである。 東洋医学の研究もまた、そんなIさんの新たなチャレンジのひとつに過ぎなかった。
たしかに、Iさんはたいへん凝り性な人であった。 教育事業はまだしも、この東洋医学についてはさすがに「ご隠居の道楽」のように見る向きもないではなかった。
I夫人などは、Iさんのために木の根っこやら葉っぱやらを混ぜた漢方薬を煎じていたが(これはたいへんなにおいがするらしい)、「もう、まるでゴミみたいな薬を飲むんだから…」などとよくぼやいていたものだ。 しかし、Iさんのこのような凝り性が数々の製品群を生み出してきたのだから、けっして馬鹿にしてはいけない。
ところで、Iさんがそういうテーマに興味を持っていたために、通訳や翻訳を担当していた私もいきおい、その分野の語彙を蓄える必要に迫られた。 それまで、医学用語の知識は皆無に近かった私は、身体の諸器官や病気、症状や治療法などの英語表現を次々と覚えなければならなかった。
当時私が肌身はなさず愛用していた「マジックノート」の「東洋医学」のページを見ると、麻酔=anesthesia鍼療法=acupuncture指圧=acupressure動脈硬化= arteriosclerosisなどという単語が並んでいる。 人間の器官名の訳語もいろいろと書いてある。

胃はstomach肝臓はliverというくらいはさすがに知っていたが、すい臓(pancreas)食道(esophagus) 十二指腸(き乱I〜)などという単語までIさんが次々と口にすると、最初のころはそれにあたる英語を知らなくて、通訳している途中でよく往生したものである。 こういった医学用語はラテン語を起源とするものが多く、つづりも発音も難しい。
もともと発音のあまり良くない私は難儀しながら、アクセントの置き方に注意して、相手にわかってもらえるようにゆっくりと発音した。 当時、何度も繰り返して練習したおかげか、これらの単語の発音は今でもすぐに口をついて出てくる。
前記の例でいえば、anesthesia(麻酔)は「アネスシージャ」(アクセントは中央の第3音節にある)、esophagus(食道)は「イサフアガス」(アクセントは第2音節)といった具合だ。 英語の場合、発音もさることながら、どこにアクセントを置くかが大切である。
極端な言い方をすれば、多少発音は悪くても、アクセントさえ正しければけっこう通じる。 東洋医学の概念の中には、西洋医学で使われている用語ではうまく表現できないものがあった。
鍼(acupuncture)や灸などにはそれぞれ対応する英語があって、英語を母国語とする人であればだいたいは知っている。 だが、東洋医学で循環器系を総称していう「三焦」とか、「気」という一種の干不ルギーで病気を治療すると言われている「気功」などには、それを端的に言い表せる言葉が見当たらず、うまく意訳するしかなかった。
私の場合、「三焦」はthecirculatorysystemincl乱ingbio乱vesselsandlymphglands(血管やリンパ節を含む循環器系。 ただし、実際には少し違う概念らしい)、「気功」はQiGong。oraChinesetraditionalmedicaltreatmentwhichusesatypeofmentalenergy(チーゴン【中国語の発音】、つまり一種の精神干不ルギーを使う中国の伝統的な治療法)などと説明的に訳しながら、相手の表情を見ては、何となくわかってくれたかどうかをそのつど確かめていた。
その後、「三焦」にはtriplewarmとかいう訳語があると聞いたが、この言葉で普通の英米人にわかってもらえるかどうか…。 通訳をしていて本当に困ったことがある。

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